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2008年01月31日
一夜限りの「FAカップのロマンス」
私は長年、「FAカップのロマンス」について聞いてきました。
「FAカップのロマンス」とはFAカップでは下位のリーグが上位のリーグと対戦できるので、そう表現しています。
私はFAカップにはあまり興味がなく、週末に行われる時だけ、リーグ戦の代わりに見る程度でした。
もちろん、大好きなウェストハムを中心にですけどね。
ですが、先週の土曜日に考えが変わりました。
と言うのも、ブルー・スクエア・サウスリーグ(この名前のリーグを聞いたことがありますか?)に所属するハバント&ウォータールービルというチームがアンフィールドでリバプールと対戦しました。
両チームの間には123ものチームがあります。
まさに月とスッポンという差があります。
ポーツマスに近い、南部の町ハバントの選手たちはいわゆるセミプロですが、その実態は限りなくアマチュアに近いものです。
彼らはフルタイムの仕事を持ち、少なくとも週に2回程度しか練習していません。
サウサンプトンで5、6試合プレーした選手を除いて、誰も完全なプロとしてプレーした選手はおらず、本業での収入を補うためにサッカーをしています。
彼らの職業はタクシードライバーやごみ収集業、建築業などです。
両チームの違いは明らかです。
リバプールはイギリス国内で最も成功したクラブのひとつで、リーグチャンピオン18回、チャンピオンズ・リーグでも5回優勝しています。
アンフィールドには4万5400人も収容するのに対し、ハバントは毎週ウエストリーパークのわずか606人の前でプレーしているにすぎません。
ハバントの選手たちは週給100〜500ポンドもらっていますが、リバプールの選手たちは2万〜12万ポンドももらっています。
日本の皆さんも、その気になればたった40ポンドでハバントの選手たちのスポンサーになれるのです。
今回の対戦はイングランドフットボールの長い歴史に残る試合になりました。
英国中のリバプールサポーターを除く人々がハバントを応援していたと言ってもいいかもしれません。
ある賭博会社は25万ポンドをハバントに寄付し、彼らが勝った場合には地元のバーのオーナーは生涯ビールを無料にすると約束しました。
実際には、どうひいき目に見ても、ハバントが勝つとは思えませんでした。
しかし、ハバントはリバプールから2度もリードを奪い、前半を2-2で折り返しました。
リバプールの選手たちはピッチで野次られ、ハバントの選手たちは両方のサポーターから大きな声援を浴びました。
タブロイド紙はハバントのGKが30分間無失点に抑えた場合は、5月にモスクワで行なわれるチャンピオンズ・リーグ決勝の観戦旅行をプレゼントすると約束していました。
残念ながら27分で失点してしまいましたが、GKはマドリード旅行をもらうことができました。
結局、ハバントはリバプールに2-5で敗戦したのですが、いつもなら606人しかいないところで試合をしていた選手や、ハバントからリバプールまで応援に行った6000人のファンにとって、生涯忘れられない日になったことでしょう。
バハントの選手たちにとって、試合後の重要な目的はリバプールのスター選手たちとシャツを交換することでした。
もちろん、スティーブン・ジェラードが一番人気でしたが、彼はサブでした。
ジェラードが登場したのはすでに試合も終わりかけた87分でしたが、ハバントのアルフィー・ポッターはコーナーで彼に一番近くかったので、ボールに触る前にジェラードに「自分とシャツを交換してくるか?」と尋ねました。
これにはハバントのキャプテンでウェストハムファンのジェイミー・コリンズも負けてはいられず、ジェラードの隣に立って、「自分は“You'll Never Walk Alone(有名なリバプールのサポーターソング)”をリバプールサポーターと一緒に唄った」とコリンズはジェラードに言いました。
ジェラードは無言のまま、奇妙なものでも見るような目でコリンズを見ました。
これに怒ったコリンズはジェラードが2年前のFAカップ決勝のウェストハム戦で交代する時、わざと時間をかけたことを非難しました。
試合終了の笛が鳴ると、ハバント&ウォータールービルの選手たちはリバプールサポーターからスタンディングオベーションを受けました。
そしてジェラードやピーター・クラウチが彼らにリバプールで一番のバーの場所を教え、ハバントの選手たちがVIPルームに入れるように手配しました。
そして翌日、ハバントの選手たちはいつもどおり仕事に出かけました。
セミプロ選手にとっての一夜限りの夢のような体験。
それは確かに「ロマンス」と呼ぶにふさわしいものだと言えるでしょう。
2008年01月25日
我々のチームが大学の殿堂入り
今回は私の大学時代の思い出についてお話しましょう。
以前にもお話しましたが、私はウェストハムのユースでプレーしていました。
残念ながら、トップチームに上がることはできず、契約が切れてからはセミプロとして2、3年ほどプレーしていました。
その後、1987年に、アメリカのニューハンプシャー大学でサッカーの奨学生にならないか? というオファーをもらいました。
毎日高いレベルでサッカーをプレーすることと、ある程度の勉強だけという条件をを受け入れてもらえたので、私にとってはとても有益な話でした。
89年にはノースカロラナイナ-グリーンズボロを我々のホームで3-1で下し、NCAAナショナル・チャンピオンシップを獲得しました。
他のすべてのスポーツを含めて、ニューハンプシャーから全米チャンピオンになったチームは我々が初めてだったので、この時の優勝は偉業と称えられました。
我々はナショナルチャンピオンリングをもらいました。そのリングはダイヤモンドがなく、小さかったのですが、MLBやNFLで優勝チームが受け取るリングととても似ていました。
我々のチームは、イングランドだけでなくナイジェリアやノルウェーなどの出身者がいて、アメリカ国内でもアトランタやフロリダ、ニューヨーク、ニュージャージー、マサチューセッツ、そしてニューハンプシャーとさまざまな地域の出身者がいました。
2008年10月にニューハンプシャー大学が南ニューハンプシャー大学(www.snhu.edu)に変更されることが決まり、我々のチームが大学の殿堂入りし、1月19日の記念式典に当時のメンバー全員が招待されました。
私はもちろん、妻と一緒にボストン経由で先週末、ニューハンプシャーへ行ってきました。
当時のチームメイトに会うのは約20年ぶりで、みんながどう変わっているのかわからないので、すこし緊張しましたが、懐かしい仲間と再会を祝い、大学時代を振り返ることができ、とても素晴らしい時間を過ごせました。
みんなほとんど変わっていませんでしたが、少々貫禄(というかお腹)が出ていたのは否めません。
25人の元選手のうち、私を含めて16人は海外から出席しており、アメリカ国内でも遠くから出席していました。
元選手のうち少なくとも7人は現在アメリカでコーチをしており、MLSのシカゴ・ファイヤーのCEOになった者もいます。
海兵隊員もいて、彼はイラクで現役とのことでした。
ちなみに彼はゴールキーパーだったことからも想像できるように、強い精神力の持ち主です。
全員にとって良い再会であり、次は25周年記念にジョージア州アトランタで会うことを計画しています。
2008年01月17日
デイビッド・ベッカムの大変な生活
私はサッカーライター協会の一員であり、年2回の会合があります。
5月には年間最優秀選手を決め、1月にはGala Tribute Eveningというイベントがあります。
日曜日に妻のサンドラと私は今年のGala Tribute Eveningに出席するためにロンドンにあるロイヤル・ランカスター・ホテルへ行ってきました。
過去の受賞者にはライアン・ギグス、アーセン・ヴェンゲル、ガリー・リネカー、アレックス・ファーガソンなど錚々たるメンバーがいますが、おそらくもっとも有名なのは今回受賞したデイビッド・ベッカムでしょう。
ブライアン・ロブソンが最初にスピーチをしたのですが、ベッカムがマンチェスター・ユナイテッドのトップチームに加入した当時、ロブソンは中心選手だったこともあり、ベッカムのことを親しげに“デイブ”と呼んでいました。
ロブソンはベッカムの憧れの選手であり、彼のブーツボーイ(注※英国のクラブの伝統で、ユースの選手はトップチームの選手たちの靴磨きをやらされる。その場合、担当する選手が決まってるので、誰々のブーツボーイという言い方もする)でもありました。
スベン・ゴラン・エリクソンがベッカムについて熱く語り、2月6日のスイス代表との試合に彼を呼ぶようにと、イングランド代表の新監督ファビオ・カペッロに呼びかけました。
これはベッカムにとって大きな意味を持ちます。
彼は現在の代表キャップ数が99試合。
あと1試合で100試合になるからです。
一部ではベッカムは100試合を達成したら代表を引退するという噂が出ています。
すべてのジャーナリストがエリクソンを高く評価をしていたことはとても興味深かったです。
彼らジャーナリストによって非難されていたのは2006年の6月だけでした。
これには2つ理由があります。
1つ目は今シーズン、マンチェスター・シティで結果を残しているからです。
そして2つ目はスティーブ・マクラーレンのイングランド代表は、とても悲惨な結果を残したからです。
この日、このイベントにはマクラーレンも出席していたのですが、ほとんど無視されている状態でした。
そして、ベッカムのスピーチ。
これはなかなか感動的でした。
彼は多くの人に感謝し、長年のチームメイトで、大親友のガリー・ネビルには特に感謝していました。
ネビルはベッカムのゲストであり、彼の家族と同じテーブルにいました。
ベッカムはまだ代表に選ばれたい気持ちとマンチェスター・ユナイテッドをどれだけ愛しているかについて語りました。
その後、彼は多くの人からのサインに応じ、そのために彼は45分間もその場に居続けたので、拍手喝采を浴びました。
いったん会が終わると、このイベントはレディース・ナイトとして知られており、ダンスが始まります。
しかし、以前の受賞者とは違い、ベッカムは踊りませんでした。
最後に私の友人から聞いた話をひとつ。
彼がトイレにいたところ、ベッカムが入ってきました。
ベッカムはSPと一緒でしたが、その場にいた人々に無礼をわびながら個室を使いました。
彼が用を足すところをパパラッチに写真に取られる可能性があるため、小の時でも個室に行かなければならないのです。
なんて大変な生活なんでしょう!
2008年01月10日
友人の息子がゲームのマスコットに
あけましておめでとうございます!
12月29日にアップトン・パークに行き、ウェストハム対マンチェスター・ユナイテッドの試合を観戦してきました。
もちろん、私はウェストハムのファンですが、ウェストハムの勝利を期待していませんでしたし、ほかのファンも同じでした。
この試合を観戦したひとつの理由が、私の友人の息子がウェストハムのマスコットボーイに選ばれたからでした。
ローアン・バッシ君はマンチェスター・ユナイテッド戦というシーズンで、最も大きな試合のマスコットになれたのでとてもラッキーでした。
私はこのことを皆さんにお話ししたかったのです。
ローアンと彼の父親が熱心なウェストハムのファンで、さらに昨年まで所属していたカルロス・テベスがアップトン・パークに戻ってきたので、彼らにとって夢のような一日でした。
実はマスコットになるにはこのようなビックゲームでは400ポンド(日本円で約10万円)も費用がかかるのです。
これはとても大金のように思われますが、1枚当たり65ポンドのチケットが4枚と、新しいウェストハムの商品(およそ50ポンド)が付いてくるのです。
ふつう、ホームゲームにつき1、2名のマスコットボーイ(ガール)がいるのですが、マンチェスター・ユナイテッド戦では10名もいましたので、4000ポンドものお金がクラブに入る計算になります。
ローアンは試合開始90分前に会場に着き、役員席へ連れて行かれ、そこで選手全員のサインが入った本をもらいました。
10人のマスコットはコーチに連れられてピッチへ案内されました。
そこでは両チームの選手たちがウォーミングアップをしていました。
ローアンが何人かのマンチェスター・ユナイテッドの選手の名前を呼ぶと、選手たちは彼に挨拶をしてくれたそうで、キックオフまでの間、彼はとてもエキサイトしていました。
30分間のセッションの後、彼らはドレッシングルームへ案内されて、キックオフ直前に選手と握手をしました。
ローアンはノルベルト・ソラーノ選手とペアになり、35000人の観客が待つピッチへ選手と一緒に入場しました。
ローアンにとっては生涯忘れられない思い出となったこの試合は、ウェストハムがマンチェスター・ユナイテッドを2-1で破るという予想外の勝利という、嬉しいおまけもつきました。
マスコットたちにとっては、本当にパーフェクトデーと言ってもいい、素晴らしい日になったことでしょう。
では、また来週!

