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2008年07月18日
50年後のコレクション
Q:前回は丁寧にお答え頂きありがとうございました。またまた質問なのですがおそらく多くのコレクターが聞きたいことだと思います、ご回答お願いいたします。
今現在保有しているコレクションの50年後をお聞きしたいと思います。金額的な事を聞きたい訳ではないのですが『価値』という言葉以外思いつかないのでそう呼ばせていただきます。
仮に野茂投手の1995年実使用ジャージを保有していたとします。今の段階では市場でもかなり人気があると山本さんの文面でみてもうかがえます。しかしいつかは引退して(まだまだ頑張ってほしいですが)10年、20年と時が経つにつれてどういう風に『価値』が変わっていくのでしょうか?
もちろんその選手の生涯成績、引退後殿堂入りを果たした、などいろいろなケースがあるでしょうがとても気になります。
逆に今からさかのぼって沢村栄治のサインボールやベーブルースのサインボールを保有していればかなりの『価値』があるだろうとは思いますが、今保有しているコレクションの50年後は想像つきません。
時が経つにつれて数は間違いなく少なくなるでしょう、しかし需要(その選手に思い入れがある人たち)の数も減ってしまえば『価値』としては下がりそうな気もします。
前回に続き難しい質問ですが山本さん以外に答えられる人もそうはいません。よろしくお願いいたします。
NOMOMANIAさんからの質問
A:NOMOMANIA様、よろしくお願い致します。
さてご質問いただきました「今現在保有しているコレクションの50年後の価値」についてですが、うーん……なかなか難しいご質問ですね。
「たら」「れば」を語りだしたら、その可能性について延々と書き綴れそうなくらい深い問題です。
少し長くなりますがお付き合い頂けますようお願い致します。
まず「価値」という言葉をどう捉えるか?
NOMOMANIA様は文中で「金額的な事を聞きたい訳ではない」と書かれておりましたが、金額的なものも「価値」のひとつですし、また野球の歴史、プロ野球やメジャーリーグの歴史の一部としての史料的な「価値」という意味もございます。
現在のコレクション市場の流れから考えますと、この2つの「価値」は別物のようでありながらも、結局は言葉を変えた同じ意味であるといえる部分がございます。
それは記録が更新された歴史的な時の物であったり、歴史的なスター選手の物(沢村栄治氏やベーブ・ルース等)が、例えば現在オークションにかけられてしまえば、大変な高額で落札されるというのは、NOMOMANIA様も既にご存知のことと思います。
そう考えると2つの「価値」は非常に似ていると言えます。
文中にもありましたが野茂英雄投手の1995年実使用ジャージも、野茂投手が切り開いていった道や歴史、またプロ野球とメジャーリーグを通じての成績からも、普通に考えれば当然時が経つにつれて野茂投手の存在自体への評価だけでなく、こういった物の価格も安定した評価を受け続けなければならない物のひとつであると言っても良いと思います。
従って50年後に「日本人メジャーリーガーのパイオニア」として、野茂投手の物がオークションに出品されていてもおかしくないのではないでしょうか。
なかには現在コレクションされている選手のなかで、この2つの「価値」がなくなってしまう選手もいる事と思います。
こればっかりは、どんなコレクションをしていても起こり得ることなので致し方ありません。
しかし今後も、例えば50年後に同じようなオークションが開催されて、これらの物に高値が付くかどうかは今お答えすることはできないと考えております。
50年後の世界経済が豊かでなかったら?
もし過去に衰退して行ったさまざまなコレクション物と同じ道をたどったとしたら?
金銭的「価値」という意味では、お金を払う人がいなければ下がってしまう。
これは当然のことです。
経済が崩れれば、株券や物が買えるはずの貨幣ですらその価値を失い、ただの「紙切れ」になってしまうのです。
もちろん世界的に豊かな明るい未来という逆の目もありますので、その時はもっととんでもないことになってしまうかもしれませんね。
それでは金額的な「価値」を切り離して(完全には切り離せませんが)、歴史的史料価値という意味ではどうなのか?
50年後にそれを顧みる余裕が世界にあろうがなかろうが、歴史的な物の価値は普遍だと私は思います。
例えば……比べる対象がちょっと違うかもしれませんが、インカ帝国が滅んだ後も、遥か遠くのマチュピチュ遺跡まで足を運ぶ人々がいるように、野球はアメリカの歴史の一部ですから、それが展示してある場所がある限りそこに足を運ぶ人たちが絶える事はないのではないでしょうか。
日本にもさまざまな歴史……第2次世界大戦中の日系人収容所での出来事なども含めて、日本に野球という文化が根付き現在に至っているという長い歴史がございます。
ですので、きっとここ日本においても歴史的史料価値は変わらないでしょうし、またそうならなくてはならないと個人的には考えています。
また先程「この2つ(金額的又は歴史的史料)の『価値』がなくなってしまう選手もいる」と書きましたが、それ以外にも、もうひとつの「価値」があるのではないかと思います。
それは「自分の記憶のなかでの価値」です。
人には理解できない、又は世の中では評価されない物。
でも自分にとっては思い出深い大切なコレクションという物を、どんなコレクターの方々でもひとつはお持ちなのではないでしょうか。
例えばあまり活躍しなかったけれど、初めて直接貰った選手のサインボールとか、そんな感じです。
それが50年後にご自身の記憶として色あせない物ならば、とても「価値」のある物だと私は思います。
あとはコレクションをされている皆様一人ひとりが、一体どの「価値」を選択されるのか? それによってすべての見方が……ちょっと極端ではありましたが、これだけ変わってくるということです。
話が大きくなり過ぎてしまいましたが、私の見解は以上です。
ただどの道を選ばれても間違いではないと思います。
それからどんな「価値」の物でもよいので、50年後にそれらを子どもたちに伝えていける明るい未来が待っていて欲しいと心より願っております。
長々とお付き合い頂き誠にありがとうございました。
投稿者 yamamoto : 2008年07月18日 16:39

